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大好きお団子&防げぬ災難



1月の上京時にもらった北千住のパンフ

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このお団子を食べ損ねたのが残念で残念で、4月の上京では3回も買いに行きました\(^o^)/

朝9時から炭火で団子を焼いてます。

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私はみたらし1本、夫はみたらしと餡を1本ずつ。

柔らかめの団子、甘めの醤油だれがお好きな方は是非ご賞味ください!

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実家の母の母は、せっかちで賑やかな働き者で、叔父(母の弟)一家と社宅で暮らしていました。

子どもは3人いるし、社宅は狭いし・・・で、叔母は大変だったし、姑の愚痴や悪口を聞かされる叔父や母も大変(´・_・`)

だけど、明治生まれの親は息子と同居するのが当然だったので、母の母も父の母も、特に感謝することもありません。

母の母は、亡夫の軍人恩給を受給していたので、生活費としていくらか叔父に渡していたそうですが、実家で同居していた父の母は、当たり前のようにお小遣いももらっていました。

父の母が、ピンピンコロリの突然死だったのと対照的に、その2年ほど前に亡くなった母の母は、15年以上寝た切りの末に老衰で亡くなりました。

母の母が最初に骨折したのは70代中盤で、手術の末、杖をつけば歩ける程度まで回復しました。

が、その6,7年後、再び骨折し、今度こそ寝たきりになってしまい、介護保険も無い時代、和室にベッドを置いて暮らしていました。

頭と上半身は達者だったので、折り紙やビニールコードでおかんアートを楽しんでいたけれど、田舎では材料を揃えるのも一苦労で、叔母に頼めば余計な仕事が増えるので嫌な顔をされ・・・だったようです。

その後、一時期は実家で預かったり、紆余曲折がありましたが、最晩年の5、6年は、遠い老人施設に入居し、ここで認知症になり、進行が早く、あれよあれよという間に子どもの名前や顔もわからなくなりました。

私は1度見舞いましたが、延々とローカル線に乗り、1日数本しかないバスに乗り継いで着いた先は、山深く、人の気配を感じない場所に建つ施設で、6人部屋だったか、8人部屋だったか、だだっ広い部屋した。

当時はまだ、積極的な治療が無くても長期入院できる病院もあったし、どういう性質の施設なのか分かりません。

老人ホームだったとしたら、当時、養老院と呼ばれていたような感じの施設でした。

実家も叔父宅も自家用車は無いので、遠い施設の往復は時間だけでなくお金もかかり、ただでさえ教育費で苦しい時なので(実家は住宅ローンも)、滅多に面会に行かなかったことも認知症に拍車がかかったのでしょう。

母は、叔父夫婦が、最期まで自宅で面倒を看てくれないなら、結婚しないで自分が母と暮らせば良かったと、叔父夫婦を詰っていました。

が、それも酷な話で、昭和30年代、20代で結婚するカップルが、親との同居を仕方なく納得しても、その親が15年以上寝たきりで、90歳過ぎまで生きることを想定しないでしょう。

しかも転倒骨折事故も2度目だし、ストレスもあったのか叔母の体調も悪化。

そんなこんなで、母の母の晩年の暮らしを嘆いていた母は、転倒骨折をかなり恐れていたはずなのに、転んだ状況を考えると「マヌケ」としか言いようが無い転び方をしてしまいました。

出かけなくても自宅で転ぶことも多く、分かってても防げないのですから運命なのかと思わぬでもありません。

昼食はおでん、納豆、明太高菜

夕食は肉団子照り焼き、もやしとピーマン炒め、ちりめん大根おろし、味噌汁(筍、わかめ)、千疋屋ゼリー(いただきもの)

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