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収入のピークと生涯現役



昨日は3899歩でしたが、暑くって最後はちょっとダラ歩き。

この際、夜歩こうかとも思ったけれど、昨夜歩きにでかけた夫は往来でのケンカに遭遇。

ほどなくパトカーが来たそうですが、ちょっと萎えました。

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亡父の景気が一番良かったのは、私が中学1年か2年ころで、初めてボーナスが100万を超えたとお祭気分\(^o^)/

ここで気を緩めずに貯蓄に励めばその後も違った(利率高い、マル優アリ)でしょうが、凡夫の悲しさで財布の紐が緩みます。

両親、義両親、おじおば、だいたい似たような年代で、職種は違えど、戦後の苦しい時代に社会人になり頑張った成果が上がる時代でした。

来年は今年よりも良くなるはず!と楽観するのも無理はありません。

結局、この時代に、親戚から若干の顰蹙を買いつつのドケチ暮らしで、只管蓄財に励んでいたサラリーマンの叔父①夫婦の老後が一番リッチでした^^;)

分野は違えど建設関係の伯父、叔父②、亡父はだいたいこの頃がピークで、その後は下降線を辿ります。

自営業だった伯父と叔父②はバブル前後に相次いで廃業を決めました。

廃業を決めた理由は、思うように利益が上がらないことの他、年金受給年齢になった、後継者がいない、健康に自信が無く従業員の生活まで責任を負えない、気力、体力、資金があるうちに会社整理したいなどなど、ほぼ同じでした。

亡くなった実母の場合は、金遣いも荒かったようですが、扶養家族がいませんし、時代にも恵まれ、それなりに商才もあったのでしょう。

早くから65歳で引退し、左団扇暮らしをすると決めていたそうです。

結果的には、ちょうどバブル崩壊後、東証1部に2桁株価がゴロゴロしている時代でしたから、不動産を扱っていた実母は勝ち逃げしたとも言えます。

実母とは、物心ついてから2回しか会っていないのでいつがピークだったかまでは知りません。

義父の場合は親から受け継いだ職種が職種だったこともあり、収入が上向き始めたのは他業種に盛んに手を出したあたり、夫が中学生頃で、ピークはバブル期。

零細企業とはいえいくつもの会社を経営し、盛んに政治献金にも励んでいました^^;)

が、ピークは長く続かないからピークなわけで、晩年は親から受け継いだ店のみ残りました。

社長、社長と呼ばれ、確かに社長には違いありませんが、長いこと従業員はゼロです。

逆に言えば、従業員がいないから続けられたのあって、それなりの給与を払っていたら無理だったでしょう。

最近は、70歳まで~死ぬまでも、生涯現役で働くことが推奨され(?)、確かにそれは立派ですが、よほどきちんと管理できていないと遺族が大変です。

義父にとっては最後に残った店を開けることが生きがいでもあったのでしょうが、店を開ければ光熱費もかかり、商品を仕入れる資金も必要です。

商売を続けているお陰で、毎月2~3万の収入があると最晩年に言ってたそうですが、配達するための車の維持費などを差し引くと赤字だったかもしれません。

加えて、法律的に不備が無い書類が見当たらぬ借金のメモなども見付かり、それらを確認するだけ一仕事です。

こうなると生涯現役で仕事されるのは大迷惑。

プロスポーツ選手などを除くと、いつがピークかは自分で判断するのは難しく、ピークを過ぎると頑張りが成果に結びつかずに深みに落ちる原因にもなることもあります。

もらう物は全部もらうが、借金は払わぬと開き直る義母と義弟では話が進まず、その間にも利息に利息がつきます(´・ω・`)

明日の夜から、また夫は田舎に出向いて残務整理。

こう度重なると、遠いので交通費だって馬鹿にならず、帰宅後は超機嫌が悪くて大迷惑。

義父のようなケースで生涯現役なんて自己だけ満足

本日は夫が休みで昼食は冷やし中華(私は綿半分)

夕食はタコ刺身(わかめ)、牛肉とごぼうの時雨煮、揚げ茄子、味噌汁、漬け物

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