実家へ&Mさんの訃報2



昨日は父の13回忌で実家へ。

法事と言っても、母と私の二人でお寺さんをお迎えするだけの簡略なものでしたが、急遽従姉も来てくれました。

私は実家に行くだけ・・・なのですが、眠れぬまま、2時間ほどうつらうつらして9時過ぎに出発、帰宅は22時半。

なのに、やはり3時過ぎまで眠れず、今日は朝からだるくてだるくて・・・

親の介護で疲れ果てている人も多いのに、これじゃぁ困るわ~と分かっているんですけどね。

せめて寝付きが良ければ・・・なぁ。

-------------------------------------------
スポンサードリンク

-------------------------------------------

一昨日の続きです。

Mさんは立て板に水でとめどなくおしゃべりをする方でしたが、ご主人は物静かを通り越して陰気。

中学校の教員でしたが、大人たちは皆、あれで教師が勤まるのか?と首をかしげるほどでした。

口数も少ないけれど表情も乏しいのです(´・ω・`)

それをしっかり受け継いだのがMさんが溺愛する2人の息子さんで、こちらも物静かを通り越して不気味で苦手でした。

いい年になってもMさんは、○坊、□坊と呼んでびっしり世話を焼いていました。

傍目には4人分のおしゃべりをMさん一人が引き受けている感じで、存在感があるのはMさん一人だけ・・・

上の息子さんには軽い身体障害があったため下の息子さんに期待をかけていたのか、はたまた本人の強い意志なのか、長いこと浪人生活を送っていました。

あの時代、現在とは受験事情が違いますから1浪は「ひとなみ」と言われていました。

それでも4浪以上ともなると、どうしても家業を継ぐ開業医の息子などがほとんどでした。

結局、浪人も長くなると伸び代が無く、年々成績が落ちてきたりするので妥協するのでしょう。

Mさんの次男は何学部を目指していたのかは知りませんが、確か6浪くらい(この頃になると他人は何浪だったか数えられなくなる)でようやく妥協して当時は新興だった私大に進学しました。

合格した時、私の両親も入学祝を包みましたが、微妙な気持ちだったようで、やはり予想通りに1年ほどで退学してしまったそうです。

祖母が亡くなってからは実家への訪問は途絶えましたが、結婚した従妹の新居は頻繁に訪れていたそうです。

Mさんにすれば親戚同様の付き合いしていた叔母夫婦の娘は身内のような感覚でいたのでしょうが、従妹の方は困り果てていました。

今、私自身があの頃のMさんと同じ年代になってみると、強引にあちこちを訪問していたのは、家の外に出たかったこともあったのかもしれないと思ったりします。

結束の固い家族ではありましたが、あの無口過ぎる男性3人との暮らしは退屈でもあったでしょう。

母の世代の老後は元気でそこそこ年金があれば、家人に気兼ねすることなくファミレスでおしゃべりしたり、カラオケに行ったり、パークゴルフ、絵画教室などなど気晴らしはたくさんできます。

Mさんの手土産の定番は風月堂のゴーフルでした。

こちらを引き払ったあと、ゴーフルを買って訪ねる先があったのかなぁ・・・

まぁ、最愛の息子さんと2人で暮らし、幸せだったと思いたいです。


本日の夕食は常夜鍋、蒸し茄子とたまねぎ中華和え、かぼちゃ煮物、漬け物、佃煮

訪問していただきありがとうございます。
にほんブログ村 その他生活ブログ 貧乏・生活苦へ
にほんブログ村

にほんブログ村

貧乏日記 ブログランキングへ

広告
スポンサーサイト
プロフィール

よつば

Author:よつば
二人の子どもがようやく独立し、学費の支払いから解放されて、ほっと一息。ふと気付いたら老後はすぐそこ。どうしましょうと焦る日々です。

最新記事
楽天
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
広告
シニアにお勧め!
最新コメント
リンク
ようこそ!
RSSリンクの表示
最新トラックバック