突然の呼び出し

子どもの頃、あちこちで咲いていたタンポポで、手を真っ黒にして花輪を作ったりしたことを思い出す花盛り。
あのころよく遊んだ空き地(他人の所有地)のひとつは、土地の低い部分に水が溜まって沼になり、今時期は数種のカエルの卵かオタマジャクシか、タニシなどもたくさんいました。
沼でない場所も、ちょっと穴を掘るとすぐに水が溜まるようなグズグズな地盤だったけど、ストリートビューを見ると、沼だった所にも家が建っています。
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朝、従姉から電話が来て、実家の母を老健から系列病院に移す事前説明を受けるため、急遽、午後に入院先の病院に行くことになりました。
幸い、外せぬ先約等無かったので助かりましたが、こちらの都合にお構い無く、呼び出しがかかるのはうんざりします。
で、入院は木曜日と決まり、今度は朝から老健に出向き、母と大量の荷物の移動です。
病院は老健と違い、1日じゅう病衣(レンタル)で普段着は不要だし、私物を置くスペースが少ないので、荷物の大半を引き取る必要があります。
引き取った荷物をどうするか?
従姉と手分けしても、手持ちで持ち帰るのは無理。
結局、従姉が依頼して従姉2が車を出し、私を乗せて20キロほど離れた実家まで運んでくれることになりました。
実家まで運んでしまうと、何かが必要になった時、取りに行くのも大変なのですが、大量の荷物をうちで預かるのも邪魔だし、最終的には実家に運ばねばなりません。
私としては、母のお金を節約する気も無いので、たとえ20キロ離れていても、タクシーに詰め込んで実家に乗り付けても良いのですが・・・と言うより、その方が気楽なのですが、従姉は私より人が好いので、何とか節約しようと思うようです。
入院手続きだけじゃないので、また1日がつぶれてしまいます○| ̄|_
この程度の介護は介護のうちに入らないのはわかりますが、唯一の「子」である弟が我関せずなので疲労は倍増するのです。
昼食はおでん、納豆、明太高菜、トマト
夕食は蕎麦屋さん
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大好きお団子&防げぬ災難
1月の上京時にもらった北千住のパンフ

このお団子を食べ損ねたのが残念で残念で、4月の上京では3回も買いに行きました\(^o^)/
朝9時から炭火で団子を焼いてます。

私はみたらし1本、夫はみたらしと餡を1本ずつ。
柔らかめの団子、甘めの醤油だれがお好きな方は是非ご賞味ください!
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実家の母の母は、せっかちで賑やかな働き者で、叔父(母の弟)一家と社宅で暮らしていました。
子どもは3人いるし、社宅は狭いし・・・で、叔母は大変だったし、姑の愚痴や悪口を聞かされる叔父や母も大変(´・_・`)
だけど、明治生まれの親は息子と同居するのが当然だったので、母の母も父の母も、特に感謝することもありません。
母の母は、亡夫の軍人恩給を受給していたので、生活費としていくらか叔父に渡していたそうですが、実家で同居していた父の母は、当たり前のようにお小遣いももらっていました。
父の母が、ピンピンコロリの突然死だったのと対照的に、その2年ほど前に亡くなった母の母は、15年以上寝た切りの末に老衰で亡くなりました。
母の母が最初に骨折したのは70代中盤で、手術の末、杖をつけば歩ける程度まで回復しました。
が、その6,7年後、再び骨折し、今度こそ寝たきりになってしまい、介護保険も無い時代、和室にベッドを置いて暮らしていました。
頭と上半身は達者だったので、折り紙やビニールコードでおかんアートを楽しんでいたけれど、田舎では材料を揃えるのも一苦労で、叔母に頼めば余計な仕事が増えるので嫌な顔をされ・・・だったようです。
その後、一時期は実家で預かったり、紆余曲折がありましたが、最晩年の5、6年は、遠い老人施設に入居し、ここで認知症になり、進行が早く、あれよあれよという間に子どもの名前や顔もわからなくなりました。
私は1度見舞いましたが、延々とローカル線に乗り、1日数本しかないバスに乗り継いで着いた先は、山深く、人の気配を感じない場所に建つ施設で、6人部屋だったか、8人部屋だったか、だだっ広い部屋した。
当時はまだ、積極的な治療が無くても長期入院できる病院もあったし、どういう性質の施設なのか分かりません。
老人ホームだったとしたら、当時、養老院と呼ばれていたような感じの施設でした。
実家も叔父宅も自家用車は無いので、遠い施設の往復は時間だけでなくお金もかかり、ただでさえ教育費で苦しい時なので(実家は住宅ローンも)、滅多に面会に行かなかったことも認知症に拍車がかかったのでしょう。
母は、叔父夫婦が、最期まで自宅で面倒を看てくれないなら、結婚しないで自分が母と暮らせば良かったと、叔父夫婦を詰っていました。
が、それも酷な話で、昭和30年代、20代で結婚するカップルが、親との同居を仕方なく納得しても、その親が15年以上寝たきりで、90歳過ぎまで生きることを想定しないでしょう。
しかも転倒骨折事故も2度目だし、ストレスもあったのか叔母の体調も悪化。
そんなこんなで、母の母の晩年の暮らしを嘆いていた母は、転倒骨折をかなり恐れていたはずなのに、転んだ状況を考えると「マヌケ」としか言いようが無い転び方をしてしまいました。
出かけなくても自宅で転ぶことも多く、分かってても防げないのですから運命なのかと思わぬでもありません。
昼食はおでん、納豆、明太高菜
夕食は肉団子照り焼き、もやしとピーマン炒め、ちりめん大根おろし、味噌汁(筍、わかめ)、千疋屋ゼリー(いただきもの)
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ロータスビスコフ&太鼓判
上京中、ホテルの部屋に置いてあるサービス菓子が妙に美味しく感じ、気になって調べてみたらカルディで買えることがわかりました。
で、早速、いくつかまとめ買いするつもりだったのに25枚入りが1パックしかありませんでした。
チープで懐かしい味と感じたのは、それもそのはず
ロータスベーカリーの幅広いラインナップの中でも、代表的な商品であるロータスビスケット“ビスコフ(Biscoff)”だけは、創業時からずっと本社のあるベルギー・レンベーク(Lembeke)の工場で作られ、80年間変わらぬ味を守り続けています。
だそうです。
カルディは25枚398円なので、次回は楽天最安値ショップで買うつもり。
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昨日は、老健に実家の母の面会に。
母に対しては思うところも多々あるけれど、後々、後悔するのは嫌なので、それなりにはかかわっていきます。
受付けで面会申し込み用紙に必要事項を書きながら、ふと目を転じると面会者欄に母の姪である従姉2の名前が見えました。
従姉2は、いつも介護の中心になってくれている従姉の妹で、この姉妹は若い頃から仲が悪く、いまだにお互いの悪口が尽きることがありません。
私は、どっちも、それぞれ違う理由で苦手だけど、ちょうど面会を終えた従姉2とエレベーター前で鉢合わせ(*゚Q゚*)
30分の面会時間は、受付けを通過した時からスタートしているので、挨拶もそこそこに別れ、私は母の部屋へ行きました。
で、今、従姉2ちゃんと会ったよ~と母に言い、立て続けの面会で忙しいね~などと話してたら、さっき、従姉2が来てくれたんだよ~と母が言い、話が戻るのを3回ほど繰り返し(゚∀。)アヒャ
毎度のことながら、難聴とボケのミックスで、どこまで話が分かっているのか覚束ないのです。
10年近く前、タクシーの乗降時に頭をぶつけ、レントゲン検査をした時、脳がびっしりつまってて、死ぬまで認知症にならない~と医師に太鼓判を押されたそうですが、最近の様子を見ると怪しいもんで、太鼓判どころか認印か訂正印ほどの心細さです。
が、実母の時もそうでしたが、「年齢並みの物忘れ」分を差し引くので、傍の者が思うほどのボケではないのかもしれません。
高齢者が大腿骨骨折すると、5年生存率は50%だそうです。
がんなどと違い、大腿骨骨折が直接の死因になるわけじゃないのに、急激に弱るのを目の当たりにすると、なるほど納得します。
私としては、せめて補聴器を装着して欲しいのだけど、そういうことだけはキッパリと拒否するのが老人あるあるでしょうか。
昼食はおでん、うにごはん←ここまで昨夜の残り、ブロッコリー、大根みそ漬け、トマト
夕食は地域情報誌にクーポンが付いてたラーメン屋さん
先日、北野エースの「博多おでん」を買ってみました。
このご時世に、卵も3個入って(3個とも夫が食べた)1000円くらいなので、安いとは言わないけど高くはないです。
昼におでんダネを食べ切り、残っただし汁に、「だし場」で買ったにんべんだしを足し、がんもどき、早煮昆布、大根、卵、こんにゃく、笹竹の子を入れて煮込み、明日の昼食にします。
最早、「博多おでん」ではなくただの「おでん」です。
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浪花節
老健の面会帰り、いつもはさほど待たずにバスが来てたけど、昨日は20分以上(しかもいつも遅れる路線)あってゲッソリ。
200メートルほど歩き、一つ先のバス停前のスーパーを冷やかしてたら卵発見!

10個、税抜き258円だったので買っておきました。
早く鳥インフルが落ち着き、いつでも買えるようになって欲しいです。
切羽詰まってるわけじゃないのに、あちこちで空っぽの卵売り場ばかり見てたので、買うしかないような気になります。
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昨年初冬、実家の母(継母)が骨折した時、私は子宮体がん(あの時点では子宮内膜増殖症)の手術前で、従姉が看護や介護のキーパーソンになってくれました。
それ以前に、そもそも、骨折後に救急車が来る前、母が一番に連絡したのが従姉で、私は従姉からの連絡で知りました。
それまで、従姉とは母を通してわずかな交流があったくらいで、母抜きで会ったり、連絡を取り合う付き合いではありませんでした。
騒ぎが大きいキャラが苦手ということもあり、疎遠気味が丁度良かったのです。
ところが、今回、こんな事態になり、母抜きで従姉と会ったり、連絡を取る機会が増えると、あれれ?な話を聞かされます(゚△゚;ノ)ノ
①実家の母は私と養子縁組を望んでいたが、父が断固拒否したために実現せず、拒否した父を恨めしく思いつつ、父を説得できなかったことを後悔している
②養子縁組をしていないので、母名義に変えてしまった父の遺産(主に実家の土地)は、全て実子である息子(私の弟)が相続するが、私にも分けるようによくよく言い聞かせている
③銀行口座は2つあり、支払いは、従姉が預かっている(年金振込口座)から出金し、私がキャッシュカードを預かっている口座のお金(200万円ほどあるらしい)は、私に残すためのお金なので手を付けないで欲しい
どの話も初耳・・・というか、一言も無く不動産の名義を母に変えてしまったえげつなさを誤魔化すための「おはなし」。
①
父は事なかれ主義で子煩悩でもないので、後妻と自身の連れ子である私の養子縁組なんて面倒で御免だったろうと容易に想像がつきます。
私が30代半ば頃だったか、まだ父が存命中、何の話からか、実家の母は、「養子縁組をすると、将来、〇〇(私)に介護の義務ができるのでしない。」と言われました。
ってことは、もしも父が先に亡くなったら、どう考えても父が先に亡くなりそうなのに、相続はどうするつもりなんだろう?
とは思ったけれど、母の介護義務と父からの遺産相続は別の話だし、父が存命中なのに騒ぐのも憚られ、それ以上の話はしませんでした。
よしんば父に反対されたのが本当だったとしても、その父が亡くなってから17年。
涙ながらに従姉に愚痴るほど望んでいるならできるはずです。
②
先日、弟が帰省した時に相続の話をしたら、父の分も含めた遺産は、私と半々だと思っていたそうで、当然、私にもいくらか分けるように~なんて話をしているはずがありません。
いくらか分けてもらい、実家の片づけや事務手続きを押し付けられるのは真っ平御免。
病気が続く私には、お金より自由な時間の方が貴重です。
③
10年ほど前、私が預かったキャッシュカードは、実家の母が動けない事態になった時に、この口座からお金を下ろして~と託されたもので、私に残すためのお金だなんて言われたことはありません。
なのに、母の日々の出費を管理している従姉は、私が預かっている口座のお金に手を付けずに済むようにせっせと節約していることをアピールしてきます(゚⊿゚)シラネ
私としては、こういう時のためのお金なので、過度の節約は不要だし、節約のために疲れ果てて欲しくありません。
が、私が預かっている口座のお金を丸々私に残して欲しい~と母に頼まれていた従姉は節約に励み、逐一報告してるのが、何だか恩着せがましくも感じました。
分かってみれば、それもそのはず、従姉は、私がもらうお金が減らぬように頑張っていたわけです。
私はあげるとも言われてないし、もらうつもりもないことを伝えたけど、従姉は半信半疑。
その後、帰省した弟と従姉と私とで今後のこと話し合った時、母は、弟には葬式代を私に預けてあると言ってたことが発覚。
私は葬式代として預かったわけじゃなく、今後、母の出費が増えれば使い、残った分は葬式代として弟に渡すと伝え、そのやり取りを一緒に聞いていた従姉は、ようやく私のためのお金ではないと納得したようです。
母の浪花節を真に受けている従姉の話を真に受け、これからでも養子縁組しましょうと言ったり、母亡き後、実家の土地を売った弟に分け前をくれくれ言ったり、母から預かっている口座のお金は私のものだと言ったら困るでしょう。
母がそんな与太話を従姉にするということは、横車を押したことはばれたくなかったのでしょうが、素直に信じてもらい泣きまでした従姉が黙っているはずがありません┐(´-`)┌
全くもって疲れる話です。
昼食は納豆、韓国海苔、焼き豚(きゅうり)、トマト、たくわん
夕食は麻婆豆腐、とろろ、小松菜胡麻和え、スープ(もやし、きくらげ、人参、ザーサイ、長ネギ)、大根みそ漬け
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自分ファースト
気に入ってた先代のマウスがチャタリングでダメになった時、大きさや形が近いマウスを探しました。
あれから10年、1000円ほどで買ったロジクールのM235rマウスは今も現役だけど、塗装が剥げ剥げ(´・_・`)
Amazonでは今でも同じ物が在庫処分で売っているけど、倍くらいの価格になっててびっくり。
ヤフーショッピングでクーポンを使い、後継機種のM235nを1000円ほどで購入しました。

てっきり同じ質感かと思ってたら、新しい方は塗装ではなくプラスチックの色そのものでした。
メタリックな塗装が気に入ってたのでちょっと残念ですが、塗料が剥げる心配はありません(゚∀゚)
購入前のPC上の画像はもちろん、届いてからも、プラスチックのパッケージごしには塗装の有無はわからず、開封して初めてガッカリしたのでした。
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GW明けの8日の朝、従姉から電話が来ました。
老健入所中の実家の母が、食欲不振で倦怠感も強いので、病室が空き次第、入院手続きをしたい~と老健から連絡が来たそうです。
5日に面会した時は、元気とは言えぬまでも、そこそこシャンとしてたけど、たまたま気分が良い時間帯だったのかもしれません。
で、様子を見に行くべきとは思いつつ、8日の午後は数カ月前から予約してる憂鬱な視野検査の日。
午前中、大急ぎで面会に行くのも不可能ではないけど、綱渡りなスケジュールはとても苦手。
なので、自分ファーストで眼科を優先し、母の面会は9日に順延しました。
実際会ってみると、見た目は、5日に面会した時とさほど変わっていませんでした。
が、見た目だけではわからない倦怠感などが、入院して点滴などをしていただき楽になると良いのですが・・・
昼食は納豆、竹輪とピーマン炒め、たらこ、トマト、たくわん
面会後、スーパー銭湯に行き、夕食は外食
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