内職の思い出 番外編

頑張っても役に立つことは書けませんから
せめて誤字脱字には気をつけようと思いますが
これもなかなか難しい・・・・目も悪いし(言い訳)

昨日は内職が内臓に見えて焦りました^^;)

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結婚当初住んでいたのは2DKのアパートの2階。
階下に住んでいたご夫婦は大のパチンコ好きでした。

勝てば夜も遅くなりますから
3人の子どもたちの分も含めて
スーパーで寿司や弁当、お惣菜を買い込みお祭り騒ぎ。
夏場などはあまりの高歌放吟に苦情が来るほどでした。

でも問題は負けがこんだときです。
夫婦揃って負けると、お酒が入っていることもあり、
ご近所を巻き込んでの派手な喧嘩が始まります。
旦那さんは工事現場で重機を操縦する仕事で、
日給月給なため、天候や季節で収入は増減します。
休みが続き、負けも続くとバトルになります。

そこで奥さんが始めたのが割り箸の袋詰めの内職です。

裸の割り箸を紙袋に1膳ずつ入れ、
更に20膳、50膳とセロファン袋にビシッと詰めます。

旦那さんは働いていますが、
奥さんは開店前から並んでパチンコですから
作業は夜にもつれこみ、子どもも手伝っていました。
夫婦2人でも広くない2DKに親子5人で暮らし、
茶の間は割り箸のダンボールが山積みです。

旦那さんは、家にいてもくつろげない、
酒を飲んでいる横で内職は当てつけか!となり
奥さんは、アンタの給料が安いばかりに
こんな苦労をしなければならない!

で、大喧嘩となります。

そして、今度はゴミ袋を10枚ずつ折りたたむ内職をします。

割り箸に比べると、少し省スペースで木くずは出ませんが
その分賃金は安くなり、相変わらず喧嘩勃発。

その後は午前中のみスーパーの品出しのパートに行き、
これで落ち着くかとも思いましたが
このころパチンコの機種は激変します。

2000円や3000円で暢気に遊べた機種は無くなり、
10数分で10000円が無くなる・・・

私が引越しをする頃には
家賃やガス料金なども滞納することが増え
大家さんも頭を抱えていました。

パチンコも稼げる人は稼げるのでしょうが
パチンコに出かけることを
仕事に行くと言うのは、???なことでした。

自分が2万、3万突っ込んだ台を諦めたあと、
他の人が座って大当たりされるのが嫌で
止められなくなり、給食費まで使ってしまうらしい。

どうにもお金が無くなり、すごすごと帰宅しても、
止せばいいのに自転車を走らせて、
その後の様子を見に行ったりするんですよね。
で、$箱が積まれていたりすれば・・・・

パチンコって怖いですよ~
頑張っても数万円にしかならない内職じゃ
焼け石に水にすらなりません。

ただ、このご夫婦、底抜けに人が良くて、
結構好きでした。

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内職の思い出4

改めて振り返るとロクなことしてませんが・・・

子どもたちが入学、入園を迎えたとき、
夫は東京に転勤になります。

右も左もわからない土地での暮らしに
ようやく慣れた頃に始めたのが
宛名書きの内職でした。

当時、すでに宛名ラベルも普及し始め
機器を貸与されてデータを入力し
フロッピーディスク(懐かしい)で
納品する作業もありましたが
手書きに拘る企業も結構あったのです。

ノルマはきつく、筆圧が強いこともあって
腕やペンだこの痛みに悩まされましたが
書くことは好きだったので1年近く続けました。

だんだん信頼されて単価が高い(知れてますけど)
仕事を優先的に回してくれるようになったころ
また転勤orz

これも多分今ではみんなPC入力で
毛筆(達筆に限る)などでないと
需要がない仕事になっていると思われます。

最初の図面描きを除くと、
内職全般は時給に換算すると卒倒するほど安い。
でも、検品は厳しい(´・ω・`)

好きなときに好きなものを作って
たま~にヤフオクで売ったりもしますが

素人の手作り品なので~
神経質な人はご遠慮ください~

で、通りますから内職というより
実益を兼ねた趣味かなと思います。

あとは、せいぜいポイントサイトやアンケート、
知識無しでできるライティングくらいですが
何もしないよりはマシっていう程度です。

まあ、頑張りますけどね^^;)

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内職の思い出3

天気晴朗なれど波高し。
波は見えませんが、風で襖がガタガタ。

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小学校1年生の頃、お金持ちの叔母に従姉とお揃いで
B屋のセーターを買ってもらいました。
B屋はすでに高級ニットのお店として有名で、
そのセーターを着ると
親に「汚すな。」と口うるさく言われるので
おしゃれでもなかった私は嫌でした。

B屋は本店の他、高級ホテルのアーケード街や
東京の三越特選サロンにも出店している店で
大人になってみると素晴らしさがわかります。

学生時代、機械編み教室に通っていた私は
いつかB屋のようなニットを編みたいと憧れました。
和裁や洋裁もそうですが、
個人の“お教室”で好きなものを作っているのは
楽しいけれど技術の習得には限りがあります。

A社のバイトをやめてしばらく経ったころ、
B屋のニッター募集広告を見つけ
昔編んだ総編み込みのセーターを持って
果敢にも面接にでかけます。

若かったのですね~今ならできません^^;)
あんな変な物持って堂々と行けるなんてねえ。

それでも子供用のプルオーバーを編むという
テストを経て、採用していただきました。

最初は小物から、そしてセーターやカーディガン。

ここでの内職は本当に勉強になりました。
勉強のうちの4分は教えていただきましたが
6分は「できる」と言って乗り込んでいる以上、
自分で調べたり、研究するほかありませんから
必死で頑張って習得したかな・・・・

ところが、しばらくすると担当が決まり、
いくつかの商品のローテーションになります。
厳密にゲージを測り、パターンを起こし、
目数を割り出すのは時間がかかる作業ですから
同じ商品を作ることは発注、受注どちらにとっても
効率が良いので当然のことなのですが、
何せ動機が「産業スパイ」ですから

飽きるんです(´・ω・`)

ああ、またあれか・・・と思うとやる気が起きず
最後のほうでは
「仕事はきれいだけど、あまりにも少ない。」と
お小言をいただきつつも
息子が生まれるひと月前まで続けました。

いつか子育てが終わったら、
手編みやニット刺繍も・・・と目論んでいましたが
10年ほど経ったころ、ニッターが不足して、
品質の維持ができないため廃業することを
新聞報道で知り、ショックを受けました。

こうして私の野望はあえなくポシャりましたが
B屋の膨大な、そして凝りに凝った
パターンの数々が廃業とともに消えてしまったのは
本当に惜しいことだと思います。

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内職の思い出2

昨日は歯医者に行き、3020円でした。
月曜には眼科にも行ってますから、
もうね~申し訳ありませんって感じです(´・ω・`)


小さい頃から見ていた内職ですが
私の内職は20代前半、新卒で勤めた会社を退職し、
失業保険が切れたころ、父の紹介で始めた図面描きです。

ビルの防火扉などの図面を描く仕事でしたが、
単価は良く、しばらくは遊ぶお金には困りませんでした。

ただ居職というのは、己に厳しくない者にとっては、
時間の管理が難しく、つい先に遊んでしまったり、
一旦、茶の間で寛ぐと自室のドラフターの前に
なかなか行けず、仕事が詰まって徹夜もしばしばでした。

が、ようやく少し慣れたころ仕事が途切れます。

いつ来るかわからない仕事を待っているのでは
実家暮らしとはいえ、困ります。

そこで大手住宅会社に図面描きのバイトに出ます。

この住宅会社A社が北海道仕様の住宅を展開するため
10人ほどでプロジェクトチームを組織していて
そこでのお手伝いというバイトでした。

同じ年頃の社員も多く、
大会社の方々は鷹揚で紳士的、
そして時代はバブルです。
非常に居心地は良かったけれど、
軌道に乗れば本社に戻ってしまいます。

同じビルにA社の地元代理店であるa社があり、
そちらで仕事を続けることも可能でしたが
A社とa社、一部名前はかぶっていても
企業規模は全く違います。
そのため給与等、お金のことなどは
決して話題にしないようにA社では徹底していましが
暮らしぶりを見ていれば違いは歴然なので
a社の人々は表面上はニコニコしていても
敵意に満ちていたのでした。

バイトである私は部外者なので
A社の方の悪口もよく聞かされました。

私もそっち側の人間なので気持ちはわかる

でも、自分たちの方が大変な仕事なのに・・・
とグチグチ言われてもどうしようもありません。
こういうことは他人に言うべきではないということは
学べた気がしますけど・・・
(このa社はバブル崩壊後、解散します)

こんな調子なのでa社に移る話は断り、
次は以前から考えていた編み物の内職に
果敢に挑戦いたします。

この図面を引く仕事も今ではCADで、
仕事自体が過去の遺物です。


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国内最大級の靴下専門オンラインストア~Tabio

内職の思い出

眼科にでかけたついでに
ようやく住民税を払ってきました。

つい、冷凍ブルーベリー184円を買ってしまったので
セブンイレブンで支払うのは節約かどうか微妙かも。


初めて内職を見たのは3歳のころで
東京池袋に住んでいた時でした。

通りに面した戸を開け放した板の間で
うず高く積まれた紙の山。
それを2つ折にして定規のような物で
シャーっとこすって折り目をしっかりつけていく仕事で
飽きずに眺めては家で真似をしていましたが
雑誌を製本する準備作業だったようです。

その後、転居した札幌では、
路地の両側に6,7軒、合計12,3軒の家が建つ環境で
そのうちの何件かの奥さんたちが
外に茣蓙を敷き、草の穂をビール瓶で叩いていました。

それは、近所の空き地や広大な高校のグランドから
牧草を刈り取り、乾燥後、種子を取る作業で、
ある程度溜まると、一升瓶に詰めていきます。
ワイワイと楽しそうに路地で作業していましたので、
これもやはり興味深く観察し、
そこらの草を採って来ては真似しました。

因みに茣蓙ーござはすでに死語になりかかっていますが、
敷物=茣蓙だった子ども時代を過ごしたので
レジャーシートを茣蓙と言ってしまい、
娘に「茣蓙って何?」と聞かれたことがあります。

母の知人の家で見たのはマッチのラベル貼りで、
テーブル一面に刷毛で糊を塗り、
マッチ箱の両面に凄いスピードでラベルを貼り付けます。
が、これはあまり私の琴線には触れません。

その後、同じ方が新聞紙の袋貼りに転向し、
これは非常に面白くて、
お店屋さんごっこ用にたくさん作りました。
遊んだあと、残りを玄関に置いていたら、
出入りの酒屋さんに、
上手だ、たくさん出来たらうちで買うよと言われ、
冗談だったにせよ酷く嬉しかった~

小学校の高学年のころには、
友人のお母さんがやっていた
鱈の燻製むしりが珍しく、飽きずに眺めていました。
右手に鑿(のみ)を持ち、
熟練の技で食べやすい大きさにむしっていきます。
当時は何も感じませんでしたが、
きっと家の匂い=鱈の匂いだったのでしょう。

もちろん、友人を含め3人の子どもたちは
誰もツマミ食いなんかしないので
偉いな~と感心したものです。

その後は引越しし、開放的な路地はなくなり、
しばらくは内職の目撃はしなくなってしまいます。

いずれにせよ、どの仕事も今では機械化されて、
熟練の技は無用になって久しいはずです。

そして、どの仕事も多分賃金は安かったでしょうが、
閉塞感の無い時代だったこともあり
子どもの目には楽しそうに映りました。

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プロフィール

よつば

Author:よつば
二人の子どもがようやく独立し、学費の支払いから解放されて、ほっと一息。ふと気付いたら老後はすぐそこ。どうしましょうと焦る日々です。

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